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汚いと虐められた子

小学校低学年の時、同じクラスにYという女の子がいました。

その女の子とは、2年生まで同じクラスにいました

僕の記憶が確かであれば、Yは友達がひとりもいなかったと思います。



サラサラのおかっぱヘアーで、少し茶がかかった褐色、

振り向くたびにキレイな髪の毛が跳ねて、色白な分、そばかすが印象的な子でした。



Yの苦手な事は、体育と給食。

何をするにしても、『遅い子』だったのです。

給食は残さず食べるのが当時のルールでしたから

昼休みにかかっても、食べ終わるまで外には出られません。

みんながグラウンドで走り回る昼休み、

強い陽射しが照るグラウンドから見た教室内は薄暗く、

Yひとりが教室の隅で、コッペパンをかじる光景はいつものことでした。



ある日、事件は起きたのでした。



クラスメイトのひとりが、

Yの机の中からカビで青々としたコッペパンを見つけてしまったのです。

ひどいのは1つでしたが、

複数個ビニールに入ったまま机の奥にねじ込まれていました。

クラスは騒然とし、一斉にYを冷やかしの対象にしました。

この時から、僕がYに対するイメージは、『汚い』という残酷なものに置き換わったのでした。



事態は収拾せず、クラスメイトの冷やかしはエスカレートしてゆきました。

Yを物差しや鉛筆でつっついたり

Yが廊下を歩いていると、クラスメイトが走り寄り後ろから頭を叩いたり、

奥手だった僕はこの状況を恐怖として見ていたのでした。

さすがに担任教師も無視することができなくなったのでしょう。

重い腰を上げて、この問題に介入することになったと記憶してします。



ところで話は変わりますが

当時の学校の先生は、今の先生の状況とは違います。

昔の先生が悪くて今の先生が良い、またはその反対、ということでなく、

当時の学校全体の体質が違うということです。

悪いことをしたら叩く、怒る、というのは当たり前でした。

ですから、生徒も怒られないように凛としたものです。

生徒が先生に向かう求心力も絶大で、先生側からの発信力も然りでした。

先生と生徒の境界線がしっかりしていて分かりやすかったと思います。

またそれが過度になる先生がいたのも事実。

事件が起きた時、怒られた生徒が無実だったとしても

怒った手前、事実を捻じ曲げて無実の学生をねじ伏せたものです。

家庭訪問では、訪問先の生徒の自宅で

当たり前のように教師が煙草を吸っていたのです。

親もそれについて何も問題視しない時代でした。

そう思うと時代の認識は当時とかなり変わったわけですね。



話を本題に戻します。



Yへの虐めがエスカレートして、担任教師の介入が入りました。

事の発端は、Yの親が学校に申し出たのです。

もうYは限界だったのでしょう。

Yの親がどう申し出たのか分かりませんが

担任教師がYの両親へどう返答するかはクラスメイトの注目だったと思います。


なぜ、生徒側にとって、そこが注目されたのかというと

クラス側は担任教師から、まだ怒られていなかったからです。

怒られることはこの上ない恐怖でしたから、

クラスメイトが悪いのか、それともYが悪いのか、その判断に注目していたのです。

それだけこのクラス全体にあきらかな罪悪感があったのだと思います。



それに加えて、

『ただ事ではないな』という意識が

より生徒の動揺を煽っていたのでした。



この時期にあわせて、

なぜかYにはお話をする程度の友達が出来ていました。

僕とは違って、クラスで人気の子だったのは覚えています。

Yとその子が時々一緒にいるのが、あまりに珍しくてよく覚えています。

生徒玄関横の花壇のすみで、Yは楽しそうに話をしていました。



また、話はそれますが、

この当時は僕の住んでいた町は、長引く地元産業の業績悪化で

住民の本州への流出が相次いでいました。

僕の友人や従妹もそれで転校となり、淋しい思いをしたものです。

ですから、転校話はあまり珍しいことではなかったのでした。



話を戻します。


Yに友達が出来て、しばらくたったある日のこと。

Yは突然転校することになったのでした。

最後の挨拶の時、Yは教室の黒板の前に立ち、何か話していたかもしれません。

もしかしたら何も話していなかったかもしれません。

僕にとっては、その話の内容よりも



先生とYの間にある微妙な距離に

違和感を感じたのを鮮明に覚えています。



あっと言う間の出来事で

クラスからYがいなくなってすぐ

Yと唯一仲良かった子がYの話をしていました。



Yいわく、こう言った内容の話でした。

『先生は私が虐められるのは仕方がないって。

私がクラスメイトに汚いことをわざとするから嫌われるんだって』

と。



クラスメイトから虐められたのは自分のせいだったいうのです。

Yは両親を通して聞かされたのか

担任教師が直接Yに言ったのか

さだかではないですが、この内容の噂がクラスに広まっていたのです。



Yが自ら汚い行動をした。



クラスメイトから青カビだらけのコッペパンを見つけられ

それを他のクラスメイトに擦りつけようとしたのでしょうか。

鼻をかんだテッシュを投げつけたのでしょうか。



僕が思うに、Yがわざと汚い行動をとったというのであれば

それは切ない心の嘆きだったのだと思います。



なぜかそう思うのか。

僕も同じ行動をしたことがあるからです。

一瞬でも、クラスメイトが自分と関わりを持ってくれているのであれば

虐められている子はあえて恥を受け入れるものです。



僕の場合は、その2年後4年生に虐めを経験するわけですが

その経験上、クラスメイトから誰でも嫌がる役割を押し付けられた時

自分から率先して引き受けたものです。



それはただ単に、友達が欲しい、人と関わりを持ちたい、

そして、人に注目してほしい、ということに他なりません。



Yはその当時、その気持ちだったのではないのか

そう思えてならないのです。



小学校低学年の記憶がこんなに鮮明なわけがないと思われますが

この出来事は、当時大きく取り上げられ、

父母と学校間でかなり話し合われたはずです。



現に、こういったことに参加する時間も興味すらなかった僕の母まで

この出来事の終始を知っていたことには驚きました。



おさげ頭のY

あの子はこのクラスにどんな思いを残していったのでしょう。

突然の転校、最後の挨拶の時の先生との微妙な距離感、

あの記憶の断片だけ思い起こしても

この出来事は、クラスの大きな傷になっていることは間違いないでしょう。



Yはこのクラスメイトの事など闇に葬り去っているのではないでしょうか。



『人に関わるには、そんな役回りも率先して引き受けなければならない。』

『人に受け入れてもらうには、醜くなければならない。』

『人と接するには、バカにされなければならない。』



人間関係の前提が狂ってしまっている。



この思い込みは、Yだけのものだろうか。

ここ最近、虐めにフォーカスしているとそんな思いに駆られます。

今更呼び起こしている自分は何なんだろう。



そう自分に変換した時

Yを通して、僕が抱いている他者への見方だったことに気付くのでした。



Yが率先して汚い自分を演じた心と同じものを

今の僕も持っていたのです。

あれから30年以上抱えたまま今日まで。



やっと 手放すときがきたのでした。



僕は今でも名前を憶えている、『Y』

汚いと虐められた子



現実では会って、当時と僕の心境を話はできないけれど、

Yは汚いのではなく、ただ単に友達が欲しかった子、



そう僕とともに記憶の中で生まれ変わったのでした。



 
 
 
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