札幌シニア夫婦の悩み2 結婚システムの歴史
- 2019-12-05 (木) 10:11
- 心のバランス整えます!
高齢になって、続婚し時を重ねれば重ねる程、交わる接点が厳しい状態になるようです。
男性の生理と女性の生理・・・・かみ合わない夫婦が非常に多いです。
所謂
性欲を催す周期が合わない・・・ということ。
これは神様のいたずらか?と感じるくらいですね。
一夫多妻でもいいんですけど・・・・という妻(クライエント)もいらっしゃいます。
そもそも結婚システムとはだれが!いつ?創ったのか?と以前から口癖のように言っていましたので、
今回調べてみました。
◆ 結婚システムの経緯
古代~平安時代・・・通い婚 古代では、恋愛はきわめておおらかで、結婚とのさかい目は明確ではなく、男女の関係は対等。平安時代には、「源氏物語」に描かれているように、夫が妻の実家に会いに行く通い婚を経て、 同居するのが一般的でした。
しかし、通い婚は妻にとってはなかなか辛いもの。 妻はひたすら待つだけで、夫が訪ねてこなくなれば、即離婚。
夫が愛人をつくっても、どうすることもできませんでした。
鎌倉~戦国時代・・・嫁入り婚 家父長制の成立に伴い、女性の地位が低下。妻が夫の家に嫁入りするようになります。 この習慣は武士から始まって、徐々に社会全体へ広がりました。嫁入りをするようになると、妻は夫の所有物と考えられるようになり、 妻の不倫は夫への反逆として、厳しく罰せられました。 また、女性は夫を自分の意思で選べませんでした。武家の結婚は政略結婚。相手を「味方につける」 あるいは「油断させる」ために結婚が決められ、愛情や人柄で相手を選ぶなんて、夢のまた夢でした。
江戸時代・・・ 幕府は上下の秩序を守るため『家』をすべての基礎としました。女性は父に従い、結婚してからは夫に従い、老いては息子に従うという、低い地位におかれました。どもが生まれない妻は、離婚されても文句は言えなかったので、妻が夫に妾を勧め、その子を自分の子として育てることもありました。 離婚するときも、庶民では「三下り半」と呼ばれる離縁状を妻に渡すことで離婚が成立しました。
明治~大正時代・・・法律婚 異なる身分や外国人との結婚の自由も認められるようになりました。しかし明治政府のつくった民法は、一夫一婦制を規定しましたが、権利は主として男性に、女特に妻には義務のみが課せられ、男女不平等なものでした。女性は結婚によって無能力者とされ、夫の同意がなければ、大きな買い物も借金もできませんでした。 この時代にも自分の意思で結婚や離婚を決めることはできませんでした。そうした男女不平等な世の中を変えていこうとする気運が生まれてきました。 しかし、戦争が始まると国家維持のため家制度や家族に対する統制が厳しくなり、女性達の思いはかき消されていきました。
昭和 ・・・法律婚 1945年終戦をむかえると、これまでの状況はがらりと変わり、日本は民主主義国家として生まれ変わりました。憲法第24条には「結婚は結婚する当人が決めるべきもので、夫婦は平等」と定められています。しかし、現実の結婚は必ずしも理念どおりではなく、戦前の家制度のなごりは社会慣習や人々の意識の中に根強く残っています。「嫁にやる、嫁にもらう」という言葉は、今でも使われており、結婚によって夫の姓に改姓する女性は98%にものぼっています
平成~令和・・・事実婚/シングル婚 こうした中で新しい動きとして、シングルや婚姻届を出さない結婚(事実婚)など、
結婚に対する考え方が多様化してきています。 一夫多妻にもしっかり訳があるんですね~~ 今もそれは適用されてもいいようになるのでは? 男性の生殖機能の劣化が著しいようですからね~~ あ!お話が逸れました。 とにかく、従来の結婚システムを実践しているものにとって 今の問題を前向きに考えて・・・ですね。 最後までお読みくださり、有難うございます。 結婚とは人生の最高の修行の場! 結婚という修行を終えてこそ人生の卒業生です。 高齢夫婦の悩み、続婚36年のヒプノセラピストさとう まみよが 承ります。 お問合せ/ご予約は https://www.shopnet.ne.jp/shop/heartful-lifu/faq.php #高齢夫婦の悩み #続婚 #高齢 #性のなやみ
結婚のシステムもこう調べると変遷していますね~~
因みに
一夫多妻制は明治31年一夫一婦制が民法によって制定されるまで続いていたそうです。一夫多妻を行う理由の一つとして「戦争」があります。
原始から、部族間の戦争で男達が死にました。
さらに狩での事故や獣に殺される危険もあります。
・二つ目は寿命が短かったこと
昔の平均年齢は二十歳を超えていません。多く生まれ多く死んでいくわけです。そして何時、病気にかかり夫が死んでもおかしくは無いわけです。
そんな世界では一生を共に添い遂げる可能性など寧ろ低いのです。江戸期までは上流社会において男子の跡取を生むという名目の元で側室制度があった。
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