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男爵の恋心が、日本全国に男爵いもを広めた(後編)

  • 2016-05-31 (火) 13:29
  • 一般
【男爵と英国人女性の叶わぬ恋が無かったら男爵いもは日本に無かった?】

川田龍吉がそのキャリアと畑違いの農業に力を注いだ背景には、秘められたロマンスがあった。

龍吉は留学時代、イギリス人ジェニ―と恋に落ちたのであった。

デートでは畑を眺めたり、じゃがいも料理を食べたりする事が楽しみだったという。

結婚の約束もしたのではあったが、父親の大反対に遭い、結婚が叶う事は無かった。

龍吉が函館に赴くと、風景があまりにもイギリスに似ていた事から、ついついジェニ―との楽しかった日々を思い出したのも無理はない。

そして、かつてデートでよく食べていたじゃがいもをこの地で育ててみたい!と思い立つのに時間はかからなかった。

龍吉はイギリスやアメリカから様々な種いもを輸入し試験栽培を重ねた。

試行錯誤の末、明治40年(1907)にアイリッシュ・コブラ―が北海道の気候に最も適当である、という結論に至り、以後普及に努める事と相成った。

龍吉は昭和26年(1951)に同地で没したが、死語数年たったある日、金庫の中から『一房の金髪』と『90通にも及ぶラブレター』が発見された。

この発見により、龍吉がじゃがいも栽培普及に並々ならぬ気持ちで挑んだ原動力が明らかになったのである。

ラブレターには『×印』がたくさん書いてあった。

この印、イギリスでは『キスマ―ク』を意味しており、現在も恋人への手紙の最後に×印を3個ほど書くのは普通の事なのだとか。

ジェニ―が龍吉に宛てた×の数は日を増すごとに増えていき、最終的に156個の×印が記されていたのだ。

しかし今となっては龍吉とジェニ―が結ばれていたなら、日本人は男爵いもを食べる事は無かった。

そういう意味では、男爵いもを日本全国に普及した最大の功労者は、龍吉とジェニ―の結婚を反対した龍吉の父、川田小一郎ではないか?(笑)  
 
 
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