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『幸福』を願った福井からの移住民

  • 2016-06-14 (火) 14:41
  • 一般
北海道の十勝平野を南北に走る国鉄広尾線に、『幸福駅』が誕生したのは昭和31年(1956)。

国鉄が新駅の駅名をつけるとき、その駅のある集落の地名をつけるのが一般的。

しかし北海道の場合、もともとあったアイヌ語の地名と、入植した和人たちのつけた地名が混在する。

時折、二つを合体させた駅名がつけられるが、幸福駅はそのケ―スだった。

もともと、十勝平野の南部では、アイヌ語で『サッ・ナイ』と呼ばれる川の周辺に集落が発展した。

和人たちは『サッ・ナイ』に『札内』と当て字した。《サッ》は乾いた、《ナイ》は川、合わせて《乾いた川》の意味である。

このあたりに明治30年(1897)、開拓団が入る。

当時の明治政府は、生活苦だった旧士族に生活基盤を与えるため、北海道への入植を奨励していた。

折も折、福井県大野市周辺で水害が続き、田畑を失う村人が続出、そこで村人たちは集団で北海道への入植を決意。

そこで与えられた土地が十勝の札内川周辺だった。

3月に入植した村人たちは、雪に覆われた原野一帯を見て、ひと目でここが稲作に適さないと見抜く。

前途多難を感じ、すでにあった札内の集落名に『幸震(さつない)』と当て字した。

幸は前途の幸福祈願、震は古語で地震をナイと呼んだ事に由来する。

しかし、いつの間にか『こうしん』と呼ばれ、大正年間に、自分たちの祖先が福井から来たという歴史を留めておくため、集落名を『幸福』と改め、広尾線の駅名として採用された。

当初より、一部マニアの話題になっていた幸福駅は、昭和48年(1973)、NHK『新日本紀行~幸福への旅~帯広』で一気に全国区の知名度を得る事となる。

同じ広尾線の愛国駅発行の幸福駅行きの切符は、それを手に入れる観光客が殺到した。

翌年、『愛の国から幸福へ』が大ヒット、この昭和49年(1974)だけで愛国から幸福への切符は実に300万枚売れた。

幸福駅の切符人気はその後も続いたが、広尾線の経営は悪化の一途をたどっていた。

1日6本という便の少なさで、車で訪れる観光客が増え、ついに昭和62年(1987)2月2日、広尾線は全線廃止となった。

ところが広尾線が廃止となっても、幸福駅の人気は衰えず、帯広市は幸福駅周辺を交通公園として保存する事にした。

現在も、駅舎やプラットホーム、鉄道の軌道まで保存されており、軌道上にはキハ22形の機動車両などが展示されている。

また、同時に人気を博した愛国駅も、駅舎を記念館として保存。

広尾線廃線後の住民の足となった十勝バスでは、愛国から幸福までの切符を販売しており、今でも『愛の国から幸福へ』は手に入れる事は出来るのである。

 
 
 
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