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北海道のご当地ラ―メン 札幌が味噌味、旭川は醤油味の秘密

  • 2016-06-23 (木) 14:36
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現在では各地に『ご当地ラ―メン』なるものがあり、それぞれが町起こしに一役買っているが、そのご当地ラ―メンの先鞭をつけたのが『札幌味噌ラ―メン』である。

元満鉄(満州鉄道)職員で、引き揚げ後に札幌でラ―メン店『味の三平』を営んでいた大宮守人氏は「味噌は身体にいい」という持論の下、昭和29年(1954)に味噌汁をヒントに工夫を重ね『味噌味メン』を生み出した。

翌年、雑誌『暮しの手帖』に紹介され、全国各地で開かれた物産展などにも出店した事から認知度は全国的なものとなった。

札幌の他店も模倣するようになり、「札幌といえば味噌ラ―メン」というイメ―ジとなったのである。

『味の三平』が味噌ラ―メンを売り出したことは間違いないが、最近では、それ以前にも大衆食堂などで味噌味のラ―メンがメニュ―にあった、という説もあり、『味の三平』が味噌ラ―メンの起源であると断定は出来ていない。

また、『味の三平』も含め、札幌のラ―メン店では味噌味だけではなく醤油味や塩味も出している。

そんな札幌のラ―メンのルーツとされているのが、北海道帝国大学前で和食屋を営んでいた『竹屋』である。

大正11年(1922)、革命勃発により内戦状態となったシベリアから逃げ出してきた中国人・王文彩を雇い入れ、中華料理専門店に店替えをした。

そして王の作る肉糸麺(ロウスーミェン)が看板商品となった。

肉糸麺は細切りの豚肉と野菜を炒め、塩味または醤油味の鶏がらスープに入れた麺の上に乗せたもの。

ラ―ドの効いたスープに歯応えのよい手打ち縮れ麺の組み合わせであった、という。

しかし日本人は肉糸麺を上手く発音出来ず、『支那そば』『チャンそば』などと呼んでいた。

中国人の蔑称であるこれらの言葉を使われる事を憂いた竹屋の女将は、王が料理の出来上がるたびに叫ぶ「好了(ハオラ―)!」の言葉をヒントに『了(ラ―)』と『麺』を組み合わせ『ラ―メン』と品書きして店に貼り出し、ラ―メンの名称は瞬く間に浸透していった。

その後、王は竹屋を去るが、後任者たちの手によって、より日本人向けの味に改良。暖簾分けもされ、旭川に昭和8年(1933)に出店。

この店が旭川ラ―メンのルーツの一つとされている。

旭川ラ―メンは当初、札幌ラ―メンの亜流であったが、その後地元で独自の工夫が加えられ、現在のような豚骨・鶏ガラと魚介類でダシを取ったWスープの醤油味となっていった。  
 
 
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