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『富良野の代名詞』ラベンダーは別の場所から栽培が始まった

  • 2016-08-04 (木) 13:55
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倉本聰脚本のドラマ『北の国から』で一躍有名になり、現在では富良野のラベンダー畑は北海道でも有数の観光地となっている。

しかし、もともとは北海道に自生する花ではなかった。

しかも、富良野地方は日本における『ラベンダー発祥の地』でもなかった。

ラベンダーはもともとは地中海沿岸を原産とするシソ科の植物で、フランスなどでは香料の原料となるラベンダー・オイルを抽出するための農産物だった。

それを日本に持ち込んだのは、後に日本の香料のパイオニアとなる曽田政治の功績だった。

新潟県中頸城(なかくびき)郡出身の曽田は香料の研究に身を呈し、大正4年(1915)に香料会社を設立。

香料の研究のためヨーロッパを渡り歩き、昭和12年(1937)、南フランスのプロバンス地方でラベンダーと出会った。

その香りがあまりにも素晴らしいので、ラベンダーを化粧品の香料にすることを思い立つ。

曽田はラベンダー・オイルをフランスから輸入するのではなく、日本国内で育てることにした。

そこでフランスから種子を輸入して、北海道の北見と札幌、千葉、岡山、長野の五ヵ所にて実験栽培を開始する。

そのうち札幌市南区南沢の麻田農園で育てたラベンダーが高品質だったため、札幌の土地と気候がラベンダーの生育に適していると判断した。

曽田はさっそく南沢で17ヘクタールの土地を購入してラベンダー農園を開き、昭和17年(1942)にはラベンダー・オイルの抽出に成功している。

しかし、太平洋戦争の戦局が悪化の道をたどり、ラベンダー農園の土地も食糧増産の国策に従わなければならなくなった。

それでも曽田はラベンダーへの情熱を失わず、農場の隅でラベンダーの苗を品種保存のために守り続けた。

戦後になって曽田は、南沢地区の産業振興のためにもラベンダー・オイルの生産に邁進する。

その結果、南沢地区の北斜面全体がラベンダーの花に覆われ、当時はその花を見に来る観光客によって大いに賑わったとされている。

また、昭和23年(1948)にはラベンダーの委託栽培も開始され、この時ラベンダーの栽培を始めたのが上富良野の農園だった。

ラベンダーの香料の好評により、ラベンダー畑は札幌や富良野ばかりではなく、北海道の各地に広がっていった。

しかし、昭和40年代に入ると、海外から格安の人工香料がどんどん輸入されることとなる。

やがてラベンダー・オイルの需要は減少し、ついに昭和47年(1972)には札幌市南沢のラベンダー農園は閉鎖せざるを得なくなってしまった。

現在では南沢は都市化の波が進み、ラベンダー畑は全く残ってはいない。

この時期までにラベンダー生産の中心地となっていた富良野でも、農場はどんどん閉鎖に追い込まれてしまう。

ついには、たったひとつの農場を残すのみとなっていた。

ところが、昭和51年(1976)、事情は一変する。

富良野のラベンダー畑の写真が、国鉄のカレンダーに採用されたのだ。

北の大地に咲き乱れる紫色の花はあまりにも美しく、全国から問い合わせが殺到。

ラベンダーの開花時期には、観光客が溢れることとなった。

その結果、栽培をやめていた農場も再びラベンダー栽培を始め、観光資源の少なかった富良野の観光の目玉となった。

そして大ヒットしたドラマ『北の国から』で度々取り上げられた富良野のラベンダーは、今では全国区となっている。

このことから、日本のラベンダー発祥の地は富良野である、という勘違いが生まれたが、発祥の地はあくまでも札幌。

南沢では今は見ることが出来ないが、幌見峠などでラベンダーの故郷を復活させる試みが始まっている。  
 
 
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